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文頭の「なので」に違和感。いつから接続詞になったのか?


「だから」と言わずに「なので」と言う人がいる
どういうわけか、最近になり(2017〜2018年頃)、突然「なので」という言葉が気になるようになりました。そのため、色々と調べてみたのですが、同じように調べる人の参考になればと、まとめてみました。

「なので」という言葉は、本来次のような使い方のはずです。

明日は雨なので、傘が必要です。
今日は雨が降っているので、傘が必要です。

ところが最近、次のような使い方をする人がいます。

明日は雨です。なので、傘が必要です。
今日は雨が降っている。なので、傘が必要です。

「〜なので」は、「AなのでBです。」というように、文の途中に入る言葉なのですが、文を「マル(句点)」で終わらせた後に、「なので」の部分だけを切り取って、文の頭からいきなり「〜。なので、」で始めるのです。これは明らかにおかしな使い方です。元々こんな言葉はありません。もし、文の途中で「マル(句点)」で切るのなら、普通は次のようになると思います。

明日は雨です。だから、傘が必要です。
今日は雨が降っている。そのため、傘が必要です。

文を途中で切らないで続ければ「なので」で良いですが、いったん切ってしまったら、普通は「だから」とか「そのため」などを使うはずです。

このように、接続詞として文頭に「なので」を使うのはおかしいですし、以前は見たことも聞いたこともない言葉の使い方です。それが、なぜか2017〜2018年頃になって、急に私の目や耳に飛び込んでくるようになったのです。この頃、何があったのか知りません。しかし、インターネットの書き込み、文章、テレビで、文頭の「なので」を見聞きする機会が急激に増えたのです。

文頭に「なので」を使う人は、その丁寧語である「ですので」も使います。昔なら「だから」「ですから」と言ったと思うのですが、この「ですので」という言葉も目立つようになりました。

それからは、気になってしまって、余計に注意してしまうせいか、不快感が増大してしまいました。おかしな言葉の使い方なので、脳が拒否反応をするのでしょうか。耳につく何だか嫌な感覚、違和感を感じてしまうのです。

文頭の「なので」は、2000年頃から広まったのか?

インターネットで調べてみると、私と同じように文頭の「なので」に不快感を感じている人も多くいることがわかり、ほっとしましたが、それと同時に、この文頭の「なので」は、かなり以前から使われていて、最近では新しい用法として辞書にまで登場していることを知りました。2004年にはNHKの番組で取り上げられたり、2008年にはNHKがアンケート調査をしたり、新聞記事になったり、マスコミでも話題に上ったようです。私も随分と遅れて気づいたものです。

振り返れば、この文頭の「なので」に初めて接したのは、2001年になります。アルバイト先の会社で出会った、当時確か29歳(2018年時点で46歳)ぐらいだった男性です。「だから」と言わずに「なので」と言うので、おかしな言葉をしゃべる人だと思いましたが、その人が地方出身者だったため、その地方の方言みたいなものか、あるいは個人的な口癖だと思っていました。実際、その職場には他にも20代の若者や20歳前後の大学生も複数いましたが、誰もそのような言葉を使う人はいませんでしたし、その職場には1年いましたが、1年経っても誰も真似をする人はいませんでした。まさか、その当時にテレビで芸能人が使ってるとか、一部の若者に広まってるなんて思ってもいませんでした。

新語、流行語というのは色々ありますが、テレビの影響、有名人、芸能人の影響で広まるというのが多いと思います。この文頭の「なので」も、最初に使ったのは芸能人の○○さんだとか噂もあるようですが、元をたどればそこに行きつきます。女の人では「なのでぇ〜」と語尾を伸ばすしゃべり方をする人もいますし、元は若者の流行語だと思います。現在では、有名作家の著書の中にも書かれたり、テレビドラマの中で、役者のせりふで「なので」が使われた事例もあるそうです。それじゃあ、広まるわけですね。

しかし、この「なので」。他の新語、流行語とは何か違います。若者の流行語が定着したものとしては、「まじ」「超」「めっちゃ」などがありますが、これらは会話では使われますが文章には書かれません。より正確に言えば、くだけた会話や文章には使われますが、かしこまった会話や文章には使われないということです。その一方、「なので」は、正式な会話や文章にまで使われているのです。アナウンサーまで使っています。知ってか知らずか、正しい言葉という感覚で広まってしまったのだと思います。

省略してしゃべることが流行だからか? 実は「それなので」か?

ところで、最近、「なので」とセットにして「なのに」も増えて来たように感じます。「なのに」は昔からありましたが、多くの人は「それなのに」(それ+なのに)を使っていたと思うのです。「それ」を省略して「なのに」だと考えると、「なので」に関しても「それなので」「そういうことなので」を省略して「なので」と言っているという見方もできます。「それなら(ば)」→「なら(ば)」、「それにもかかわらず」→「にもかかわらず」、「だけれども、だけど」→「けれど、けど」と、省略される言葉は多いです。 ただ、「それなので」という言い方は元々あまり聞かないので、省略した使い方だとしても、何かすっきりしません。その点も、「なので」に違和感が出る理由なのかもしれません。「それなので」という言い方が広まる前に、いきなり「なので」になってしまったという感じでしょうか。「それなので」という言葉がもっと普及していれば、文頭の「なので」を間違いだと思うこともなかったかと思います。

なお、良くよく会話を聞いてみると、人によっては、大部分が「だから」で、一部にだけ「なので」を使っている人もいます。

だから、○○です。
だから、○○です。
なので(なんで)、○○なんです。

と、言っている場合があります。こういう場合は、言葉の言い換えで、話の流れに乗って出て来た省略語という感じがします。「そういうことなので」等を省略して「なので(なんで)」と言っているのだと思いますし、違和感は少ないです。その一方で、全てが「なので」の人もいます。

なので、○○です。
なので、○○です。
なので、○○なんです。

こういう場合は、本当に強く違和感を感じます。

違和感を感じる人は諦める(慣れる)しかない

それでは、私はどうしたら良いのか。

これはもう慣れるしかありません。

どうも言葉というのは時代と共に変わるものという認識が世間一般に受け入れられているようです。

そのため、それを否定することはせず、辞書にも載るわけです。NHKの場合も、使用は控えているようですが禁止とまではしていないようです。

10年前のNHKのアンケート結果などを見ると、現時点(2018年)で40代から下の年齢の世代が、この言葉を多く使っているようです。確かに、テレビを見てもそういう印象ですし、2001年にアルバイト先で出会った彼も今は40代です。最近、急に「なので」が目立つと感じるのは、30代、40代になった「なので」世代がテレビやインターネットに登場する機会が増えたからなのかもしれません。

あと数十年したら、「なので」に違和感を持つ世代はみんないなくなり、当たり前のように「なので」が使われる時代が来るのかもしれません。

そういうことなので、慣れないといけないのですが、今のところ全く慣れません。正直に言うと、おかしな言葉という意識があるため、自分ではこの言葉を使いたくないんです。何だか耳障りな感じがして嫌なんです。

最近は、文章を読むのも疑心暗鬼です。最後まで読み終えて、「なので」が出て来ないとほっとします。「だから」「ですから」「そのため」「したがって」と書かれた文章を見ると安心します。ところが、読んでいる途中で「なので」が出て来ると、妙なストレスを感じますし、テレビで誰かが「○○なんです。なので、」なんてしゃべると、ちょっと何か引っかかるんですね。

果たしてこの先慣れるのか?



《 追記 》 やっぱり、本を正せば「それなので」か?

この記事を書いてから2年以上経った2020年5月現在、「なので」は、さらにいっそう広まった感じがします。それまで一切「なので」と言わなかった人まで「なので」と言い出しています。そんな中にあって多少は慣れましたが、やっぱり気になる「なので」なのでした。

その後にわかったことを書きます。

「なので」を研究した学者さんの論文もあるようで、それによると、国会の会議録を分析した結果では、2000年頃から「それなので」が先行して登場し、その後、「それ」を省略した「なので」が急速に増えたとのことです。私も、2006年のインターネットの掲示板の書き込みで、「それなので」と「なので」の両方が使われているのを見ました。ですから、もしかすると、当初「なので」を使っていた人には、「それなので」を省略した言葉という意識はあったのかもしれません。 しかし、「それなので」は増えないまま消滅し、「なので」だけが独り歩きしたという感じでしょうか。

この2年ほどの間、私は、「それなので」と書かれた文章を見たのは1回、「それなんで」と発言したのを聞いたのは1回です。それ以外は、会話でも文章でも、みんな「それ」を省略した「なので(なんで)」単独です。

ところで、違和感という点で考えると、「なので」より「なんで」の方が、私は聞きやすいと感じます。 例えば、会話の冒頭いきなり、「なんですが」「なんですけど」「なんだけど」から言い始める人がいます。これは、「そうなんですが」とか、「と、いうことなんですけど」等と言うべきところを省略して、このように言っているのだと思いますが、こういう会話を聞いても、あまり違和感はありません。それと同じ感覚で、「そうなんで」「それなんで」等を省略したと思われる「なんで」と言われると、同様に違和感が少ないという感じです。「なので」とはっきり言われてしまうと聞きにくい感じがします。

こういう感覚というのは個人差もあるのでしょうが、父は、先日もテレビに向かって、「何だ、なのでって?」と言っていましたが、母はすっかり慣れたようで、「もう気にならない」と言います。昔は病院の帰りに、「今日の先生は、『なので先生』で参ったよ。なので、なのでって聞きにくくて・・・」と言っていたことなど、すっかり忘れてしまったようで、今では「パーマ屋の先生も『なので』って言ってるよ。はやってるんだからいいんじゃない? 言いやすいかもしれないね。」と言う変わりようです。

昔は、男も女も子供も年寄りも、普通に「だから」と言っていたのに、何で「なので」なんだろう? 「だから」より丁寧な言葉として「なので」を使っているという説もあるようですが、それもおかしいです。丁寧な言葉だったら、「ですから」「ですので」があるし、そもそも「なので」の丁寧な言葉は「それなので」のはずで、「それ」を省略した口語(会話後)が丁寧だとは思えないのですが。

例えば、「ならば、教えてやろう」、「なら、話が早い」などの言い方を丁寧に言う場合は、「それなら(ば)」だと思うのですが、それと同じ感覚で言えば、やはり「それなので」と言ってもらわないと丁寧じゃないじゃないか、と思うのです。

と、私は不満ばかりで、相変わらず「なのでアレルギー」のままです。変に意識してしまったため、余計に気になってしまうようです。まだまだ慣れるまで、先は長そうです。


《 おまけ 1 》 テレビの字幕で修正される言葉

例えば、正しくは「食べられる」と言うべきところを「食べれる」と、多くの人が「ら抜き言葉」をしゃべりますが、NHKなどテレビの字幕では、本人が「食べれる」と発言しても、修正して「ら」を入れています。

では、「なので」はどうかと言えば、本人が「なので」としゃべっても、字幕では「なので」を消したり、修正して「だから」になっているのを見たことがありますが、字幕もそのまま「なので」の場合が多いです。

〈 なるたけ(なるだけ)〉
先日、びっくりしたのは、「なるたけ」「なるだけ」という言葉です。意味は「なるべく」「できるだけ」と同じで、全国区の言葉だと思いますが、最近、あまり見かけません。私も若い頃までは使っていて、そのときの雰囲気で「なるべく」と言ったり、「なるだけ」と言ったりしていたのですが、あまりにも周囲で見かけないので、意識して使うのをやめてしまいました。 私にとっては、何だか気になる、寂しい思いのある言葉なのですが、先日、テレビを見ていたら、「なるたけ」と言った人の字幕が、「なるべく」に変更されていました。間違ってる言葉ではないのですが、変更されてしまうという現実に物悲しさを感じます。

【追記】
先日、Youtubeで昔の時代劇を見ていたら、1976年の「遠山の金さん」で、金さん役の杉良太郎さんのセリフに、「なるだけ凄みを効かせてな!」って、「なるだけ」が出てきました。やっぱり昔からあったんだと思い、嬉しかったです。(笑)


《 おまけ 2 》 なぜか読み方が変わる言葉

〈 河川敷 〉
最近、「河川敷」という言葉が気になるようになりました。昔は「かせんじき」と言ったと思うのですが、最近のテレビを見ると、アナウンサーは「かせんしき」と言っています。気になってインターネットで調べたら、どちらでも良いとのことらしいのですが、その調べた当時(数年前)は、まだ「かせんじき」という言い方も時々耳にしましたが、今ではすっかり「かせんしき」になってしまいました。

こういうマスコミによる読み方の変更というのは、何か目的があって読み方を統一しようとしているのか、単に世代交代による言葉の変遷なのでしょうか。

そうやって考えると、過去にも気になる言葉の変遷はありました。私の勘違いでなければ、ある日、急にアナウンサーの読み方が変わって、また元に戻った言葉があります。

スムーズ ⇒ スムース ⇒ スムーズ
世論:よろん ⇒ せろん ⇒ よろん

まあ、流行り廃りなんでしょうかね。
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